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OCEP第五電算室

この国を今一匹の亡霊が徘徊している――クソネミと言う名の亡霊が。

他県に住む「自分」に伝えるには

時折、「原発事故が別の場所で起きていたら自分はどう行動しただろう?」と思うことがあります。

自分は事故当時は福島県におりましたし、家族も県内に住んでいました。だから放射能原発については、自己防衛としてできる限り正確に知ろうと思いましたし、数え切れない人の努力のおかげである程度心配しなくてもよいことが分かりましたし、心ないデマや中傷に悲しみ怒りもしました。今でも福島のものはできるだけ買うようにしています。

しかしもし、同規模の事故が福島原発ではなく、四国や九州の原発で起きていたら? 自分はここまで調べることもなければデマに怒ることもなく、他人ごとのような接し方をしていたかもしれません。「なんとなく」事故の起きた県のものを避けていたかもしれません。

地縁のない人に福島について知ってもらう、というのはなかなか難しい。もし事故が~、と書きましたが、逆に言えば、どうしたら四国や九州に住む自分に同じことが伝わるか。なにかを書くときににはこころがけたいです。

「生活の党と山本太郎となかまたち」の改名は、むしろ「山本太郎となかまたち」のためだった

山本太郎 政治

かつていわき駅前(旧・平駅前)には、「自由党」の看板が掲げられていました。青い丸に黄色いLのアレです。自由党旧民主党と合流した後も、しばらくの間そのままでした。一部にとっては懐かしいですね。

www.nikkansports.com

さて、「生活の党と山本太郎となかまたち」が「自由党」に改名すると発表されました。党のイメージ刷新や原点回帰とも言われていますが、注目すべきは見えなくなった「山本太郎となかまたち」にあります。

2014年からあった政治団体「山本太郎となかまたち」

前回の衆議院総選挙後の2014年12月15日、山本太郎の公設秘書であるはたともこ氏が代表の政治団体「山本太郎となかまたち(略称: 山本太郎 )」が設立されました。これは国政選挙の比例区を「山本太郎」の名前で投票してもらうことを狙ったものでした。この方法が公職選挙法に違反しないかどうかは委員会質問にて確認済みです。

その後、政党要件を満たさなくなった生活の党と、委員会などでの発言権獲得を狙った山本太郎が合流し「生活の党と山本太郎となかまたち」が成立するわけですが、政党ページを見ても分かるとおり、「生活の党」と「山本太郎となかまたち」は別々の団体のように扱われています。またこの時点で山本太郎党議拘束に縛られないこと、統一地方選や国政選挙では「山本太郎となかまたち」の名で候補を擁立することが確認しています。

統一地方選参院選ではどう戦ったか

この後、2015年の統一地方選及び参院選では、山本太郎「個人」の推薦として地方議員や三宅洋平氏を推薦しました。ですが、「山本太郎となかまたち」での公認候補は出ていません。これは、同時に「生活の党と山本太郎となかまたち」が地方選や参院選比例区候補を擁立しており、丸かぶりの名前で混乱することを避けるため、公認として出せなかったのではないか?と考えています。

ではなぜあのような名前になったのかといえば……考案した山本太郎に聞くしかないですね。他の党名案もあったらしいですが。

そして衆院選

生活の党と山本太郎となかまたち」が「自由党」に変わったことで、晴れて2年前に考えた戦術をとれるわけです。ですが山本太郎が当選時に獲得した66万票に比べ、全面応援した三宅洋平氏の獲得したのは25万票(その前の参院選では17万票)でした。年明けに噂される解散総選挙のための動きとは思いますが、「山本太郎となかまたち」にどれだけ支持が集まるか、注目です。そもそも「自由党」も比例代表を擁立するわけなので、同じブロックでどちらとも候補者が出た場合、支持者の方々には悩ましいところかもしれません。

参考

「善意で福島を殴っていくスタイル」の終焉を願う

山本太郎 福島

このような意見が反原発運動側から出ることは喜ぶべきなのか、4年かけてやっとかと嘆くべきか。もちろん、こういう意見を持って「善意で福島を殴っていくスタイル」を見直されることは大歓迎。

が、このタイトルで毎日新聞のインタビュー記事、となると某記事を思い出してしまう……。

特集ワイド:続報真相 山本太郎が語る母、原発、政治… 東京・高円寺の焼き鳥屋でジョッキ傾け「ハゲがだんだん大きくなる」- 毎日jp(毎日新聞)

以下、引用部分のアーカイブは→こちら

 被災地には東京はじめ都市部での反原発運動に複雑な感情もある。リスクを軽減しながら、懸命に生きる人たちにどこまで寄り添えるのか。参院選では福島も自民が勝った。「福島の人、全員ではないけど、疲れ果てた人もいると思う。僕も人を傷つけてしまう言葉を投げかけてしまった可能性はある。線量の高い場所にくるのは気合がいった、と集会で言ったりしました。こういう立場になったら、そんな発言は許されないだろうって理解しています」

松本さんが「福島に残っている人は無知だと決めつけていた」としているのにたいして、山本太郎は「放射能との戦いで疲れた結果、自民党に投票してしまった」と主張している。自分の表現が不適切であったとしながらも持説を見直そうとはせず、「疲れ果てた人もいると思う」などと、他人事のような言い方ではないか? 選挙の結果も、まるで一時の過ちかのような言い種だ。

1年半以上の開きがあるのを考慮しても、この頃から氏の言い分は変わっていない。おまけに今では国政政党の代表、だ。

ともあれ、今後も運動側からの軌道修正を求む。それなら、脱原発も支持しやすくなると思うのだが……。

……関係ないが、この時のインタビューで「母はこの2月から太郎さんの妻とフィリピンに移り住む」とされており、実際は離婚し別の女性と男児を設けていたのだ、とも思い出すなどなど。

「模範的福島県民像」への怒り

福島
便りが無いのがいい便り、というのはよく言ったものでご無沙汰だったけれども、ある人の言う通り「怒り」が沸いたのでまた書くことにする。



いろいろ言いたいことはあるが簡単に。

こんなブログを作っている自分でさえ「自分は福島出身だから~」「福島県民として~」とポジショントークするのに後ろめたさを感じることがある。東氏や津田氏の発言が賛同を得られないのは、それがポジショントークを隠せてないことにあると思う。

彼らは「福島県民」に怒っていてほしいし、農民一揆でもして東電と政府を焼き討ちして欲しいし、県知事選では立候補者同士の殴り合いでもして欲しかったのだろうか。

もちろん、全国からの支援はありがたいのだけど、やたら「福島に寄り添う」だの「福島県民は~」と騙られるの、同じ日本人だった筈なのに凄く疎外感を覚える。

あと、


この視点は正しいのだけど、派生して「会津民が浜通りのことを偉そうに語るな」とか言い出すと、県民を分断する意図にもとられかねないので気になった。福島県福島県全体での復興を望んでいるし、それは「福島」を「日本」に置き換えてもおなじでしょう? 震災を他人事だと思ってないか?

言いたいことの大体は下の動画にあるので、引用して終わりにする。

ためしに喧嘩を売ってみる/『私は、この動画を見ている誰より健康的で長生きしてみせる』

福島県知事選 ~ 支持を失う井戸川氏、沈黙する山本太郎

記事を書き途中にしていたら、開沼さんの素晴らしい記事が出ていたのでもうこれでいいんじゃないかな → 5分でわかる福島県知事選と日本政治のいま――社会学者・開沼 博|DOL特別レポート|ダイヤモンド・オンライン

それでも酔狂な方はどうぞ。

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ブログブランク後の無能感について

久し振りに文章を書くと、上手く書けなくなったなぁと思い知らされる。敬体常体の違いや言い回し、ボキャブラリーなど「言いたいことがあるのに書けない」歯がゆさを感じる。 こういう感覚は書き続けていれば薄まる感じがする。どんなクソでもアウトプットしていれば、それだけでも、だんまりよりはマシなのだろう。 ブコメやLINEで短文を連ねるのとはまた別の体力を、ある程度まとまった文章を書くのには使うので、息切れする、という風に言い換えてもよさそうだ。

最近はあんまり本を読まない。貧すれば鈍するとはいいますが、そろそろ生活を見直さなきゃなぁ。

あなたの想像上の「フクシマ」、或いはひっくり返されたパンドラの箱

まとめ

福島産の「あかつき」を買ったがうまかった。

8bitnewsのアレ

この記事を見て久しぶりに思い出したので。

「福島のことを忘れないで、でも福島に来ないで、福島のものを食べないで」というスローガンがあるらしい。 - YOSHIKI NEWS!!

この発言を知ったのが去年の5月、8bitnewsの背景が黒かった頃のこと。

(削除要請あり)※検討中※ – 8bitNews

どういうプロセスで抗議があがったかは以下を参照してもらうとして、ここでは8bit云々は置いておく。

『報道は人を傷つけ、殺してしまうことさえ時にある』堀潤氏の運営する8bitNewsに疑問の声 - NAVER まとめ

福島県には今でも190万人が暮らしていて、震災前は210万人を少し割るくらいだと覚えている。「いちえふ」作者の竜田さんの言葉を借りるまでもなく、210万人の声を代表することはできない。福島県で暮らすと決めた人もいれば、生活や信条の理由で離れた人もいる。各人が決めたことをとやかく言うつもりはないよ。

けれども、原発が憎いあまり、福島県自体すら忌避する人がいる。それはとても悲しいことだ。全く理解できないわけではない。福島産と聞いて、おや、と思う、身構える、そういうことはあっても不思議ではない。

口にしない。それも個人の自由。

だが、人が食べているものにまで難癖つけるのはどうしてなのだろうか。その人には関係のないことのはずなのに。たとえ善意であっても、いろいろな人の努力や行為を踏みにじっていることには気が付かないのだろうか。あまりにも原発放射能を憎むあまり。


10年近く前、中国の工場で作られた冷凍餃子にメタミドホスという殺虫剤が混入していたことがあった。当時我が家でもその餃子を購入しており、間一髪食べずに済んだ。

それから中国製食品が福島産のように、写真に撮ってtwitterに載せただけで健康を心配されるようなことがあるかといえば、そんなことはない。なんだか怪しいぞと思っていても、問題が起こるまで問題視されない。中国製食品の流通はどこかの政府の陰謀論だ、なんていう人は、まあ探せばいるかもしれないが福島のそれほど聞くこともない。そういやダイオキシンはどうなったんだっけ?

乱暴な話をすれば、福島産は切り捨てられても、外国産は安いから切り捨てられない、ということなのだろうか。もちろん、低線量の内部/外部被曝による健康への影響が不確定であり不安だ、というのも大いにある。しかしながら、福島産と比べて、外国産の危険性を低く見積もられている(た)のではないだろうか? 逆に福島産ほど検査されている農作物はないと思うのだけど。

こんなことを言いつつも、自分は産地の分からない作物で作られた料理を食べるだろうし、福島の桃も食べるだろう。結局のところどこかで折り合いを付けないとならないのだけど、デマやいわれのない非難にはムッとするし、そういうことをいう人には黙っているふりをして心のなかでふざけるなと言いたくなる、いや、もう黙ってはいられないのだ。

「不安と恐怖は、未知のものへのありふれた感情だ。だけど、そこから差別意識が生まれるまで、あと半歩」

――裸者と裸者(下) 邪悪な許しがたい異端の