OCEP第五電算室

この国を今一匹の亡霊が徘徊している――クソネミと言う名の亡霊が。

「生活の党と山本太郎となかまたち」の改名は、むしろ「山本太郎となかまたち」のためだった

かつていわき駅前(旧・平駅前)には、「自由党」の看板が掲げられていました。青い丸に黄色いLのアレです。自由党旧民主党と合流した後も、しばらくの間そのままでした。一部にとっては懐かしいですね。

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さて、「生活の党と山本太郎となかまたち」が「自由党」に改名すると発表されました。党のイメージ刷新や原点回帰とも言われていますが、注目すべきは見えなくなった「山本太郎となかまたち」にあります。

2014年からあった政治団体「山本太郎となかまたち」

前回の衆議院総選挙後の2014年12月15日、山本太郎の公設秘書であるはたともこ氏が代表の政治団体「山本太郎となかまたち(略称: 山本太郎 )」が設立されました。これは国政選挙の比例区を「山本太郎」の名前で投票してもらうことを狙ったものでした。この方法が公職選挙法に違反しないかどうかは委員会質問にて確認済みです。

その後、政党要件を満たさなくなった生活の党と、委員会などでの発言権獲得を狙った山本太郎が合流し「生活の党と山本太郎となかまたち」が成立するわけですが、政党ページを見ても分かるとおり、「生活の党」と「山本太郎となかまたち」は別々の団体のように扱われています。またこの時点で山本太郎党議拘束に縛られないこと、統一地方選や国政選挙では「山本太郎となかまたち」の名で候補を擁立することが確認しています。

統一地方選参院選ではどう戦ったか

この後、2015年の統一地方選及び参院選では、山本太郎「個人」の推薦として地方議員や三宅洋平氏を推薦しました。ですが、「山本太郎となかまたち」での公認候補は出ていません。これは、同時に「生活の党と山本太郎となかまたち」が地方選や参院選比例区候補を擁立しており、丸かぶりの名前で混乱することを避けるため、公認として出せなかったのではないか?と考えています。

ではなぜあのような名前になったのかといえば……考案した山本太郎に聞くしかないですね。他の党名案もあったらしいですが。

そして衆院選

生活の党と山本太郎となかまたち」が「自由党」に変わったことで、晴れて2年前に考えた戦術をとれるわけです。ですが山本太郎が当選時に獲得した66万票に比べ、全面応援した三宅洋平氏の獲得したのは25万票(その前の参院選では17万票)でした。年明けに噂される解散総選挙のための動きとは思いますが、「山本太郎となかまたち」にどれだけ支持が集まるか、注目です。そもそも「自由党」も比例代表を擁立するわけなので、同じブロックでどちらとも候補者が出た場合、支持者の方々には悩ましいところかもしれません。

参考